会議は多いほうがいいのか?
会議は嫌われやすい。予定を埋め、集中を途切れさせ、終わっても何も決まっていないことがある。一方で、会議がないと認識がずれ、後で大きく手戻りすることもある。会議が多いのが悪いのか、それとも中身の問題なのかを切り分けてみる。
会議が雑音になるとき
会議が時間泥棒になるのは、たいてい目的が曖昧なときだ。
- 何を決める場なのかが共有されていない
- 決定権を持つ人がいない、または全員が当事者ではない
- 共有するだけなら文章で済む内容を、わざわざ集まって読み上げている
この手の会議は、参加者の時間を人数分まとめて消費するわりに、得られるものが少ない。
会議が効くとき
逆に、会議が確実に価値を出す場面もある。
- 認識のずれを早く潰したいとき。文章の往復より、その場の対話のほうが速い。
- 決めるべきことを、決める権限のある人がそろって決めるとき。
- 温度感や懸念など、文字にしにくい情報を交換するとき。
実用的な結論
会議の多さそのものは問題ではない。問題は、目的のない会議が混ざっていることだ。
- その会議は「決める」「すり合わせる」「共有する」のどれかをはっきりさせる。共有だけなら文章に落とす。
- 決める会議には、決定権を持つ人を必ず入れる。いないなら開かない。
- 自分が主催する会議は、終わりに決定事項と次の担当を一言で確認する。
集まる回数を減らすより、目的のない集まりを減らす。たぶんそれで体感はかなり変わる。