最近、AIへの指示をローマ字で書いている

最近、AIへの指示をローマ字で打っている。日本語に変換しない。たとえば、私がふだん投げているのはこういう塊だ。

ohayou. kyou yaru koto saki ni seiri shitai. mazu kinou no log wo mite, error ga deteru tokoro dake hiroidashite, genin to naoshikata wo mijikaku matomete. tsugi, sales no csv, sengetsu bun wo yomikonde, shouhin betsu no uriage wo takai jun ni narabete hyou ni shite. tochuu de mikata kaeru kamo dakedo, ima no tokoro kono houkou de ii.

sorekara raishuu no kaigi no shiryou, saki ni hone dake tsukutte. suuji wa ato de ireru kara, midashi to nagare dake de ii. ato, kono kansuu osoi ki ga suru node, doko ga bottleneck ka shirabete, kantan ni hayaku dekiru nara naoshite. muzukashisou nara ichiou houkoku dake de ii. katte ni ookiku kaezu ni.

ah, sorekara kono nagai bunshou, imi wo kaezu ni mijikaku shite. teineigo wa sonomama. tabi no keikaku mo tetsudatte hoshii. raigetsu no nichiyou, hito ga sukunakute denki ga tsuujiru basho ni ikitai. kouho mittsu, riyuu soete. yosan wa amari kakenai houkou de.

saigo ni, kyou owattara nani wo yatte nani ga nokotteru ka hitokoto de matomete oite. isogashii kara kakunin wa matomete de ii. wakaranai tokoro attara, katte ni susumezu ni saki ni kiite. tabun kore de tsutawaru to omou kedo, zureteta ra itte.

これを一切変換せず、そのまま投げる。最初は自分でも手抜きに見えたが、続けてみると、これはこれで理にかなっていた。

なぜ変換をやめたのか

日本語入力には、地味だが確実な手間がある。ローマ字を打ち、変換キーを押し、候補を見て、正しいものを選び、確定する。一文の中で何度も繰り返す。この変換と確定の往復が、思考の流れを細かく中断する。

相手がAIだと気づいたのは、この手間が省けることだった。AIは多少の表記のゆらぎや、ローマ字のままの日本語でも、意図をかなり正確に読み取る。だとすれば、わざわざ正しい漢字に直す必要がない。「正確な日本語を作る」より「速く意図を出す」ほうが、指示としては価値が高い。

何が変わったか

いちばん変わったのは、指示を出すハードルだ。変換という関門がなくなると、思いついた瞬間にそのまま投げられる。

  • やりとりが会話的になる。完璧な文を組み立てようとしなくなる。
  • 短い指示を、ためらわず何度も出せるようになる。
  • 「ちゃんとした文章にしてから送る」という心理的な重さが消える。

要するに、入力の摩擦が下がって、頭で考えてから手で出すまでの距離が縮んだ。AIとのやりとりが、清書ではなく口頭の指示に近づいた感覚がある。

もちろん向き不向きはある

万能ではない。ローマ字のままだと、同音異義語を取り違えられることがある。長い指示、専門用語、固有名詞が多い場面では、変換したほうが確実だ。

そして当然、これはAI相手だから成り立つ。人間に送るメッセージや、記録に残す文書、ましてや公開する文章をローマ字で書くわけにはいかない。読み手が曖昧さを補完してくれない場面では、雑さはそのまま事故になる。

本質は「相手によって精度を変える」こと

ここで効いているのは、入力の目的と相手で、かける精度を変えるという考え方だ。

使い捨ての指示なら、速さと低摩擦に価値がある。多少雑でも、相手のAIが曖昧さを吸収してくれる範囲なら、雑でいい。逆に、残る文章や人間向けの文章は、正確さに価値があるから、手間をかけて変換し、整える。同じ「日本語を打つ」でも、相手が誰で、その出力がどれだけ残るかで、許容できる雑さが変わる。

ローマ字プロンプトは、その線引きを実地でやっているだけだ。AIは曖昧さに強い読み手だから、こちらは精度を落として速さを取れる。

実用的な結論

  1. 使い捨てのAIへの指示は、変換せずローマ字で速く出していい。摩擦が減って、試行回数が増える。
  2. 残る文章・人間向けの文章は、これまで通り変換して正確に。相手が曖昧さを補完できない場面では、雑さは事故になる。
  3. 迷ったら「この文は誰が読み、どれだけ残るか」を基準にする。読み手が補完できるほど、入力は雑でいい。
  4. 道具に合わせて、入力の精度そのものを設計する。正確さは常に最大が正解ではなく、相手次第で最適点が動く。

完璧な日本語を打つことが目的化すると、AIに指示を出すだけで疲れてしまう。相手が読み取れる範囲で雑さを許すと、思いついたことをそのまま渡せるようになる。道具が変われば、ちょうどいい入力の形も変わる。いまの私には、ローマ字くらいがちょうどよかった。